ゆ・ら・ら くるりん

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のっぽのパイン


「お母さん、この橋渡ったらもうすぐおじいちゃんの家だね。」

ゆうたは小さな川の流れを橋の上から覗き込みながら言った。

(あれ?返事がない?)と横にいたお母さんを見ると、

ぼんやり空を見て立ち止まったままだった。


「ねえどうしたの?僕の声聞こえなかったの?」

「早く行こうよ、お空になにかあるの?」

「ごめん、ごめん。お母さん今ね『のっぽのパイン』のこと考えていたの。

ここにはもう居ないんだなあって」

「お母さんがまだ小さい頃ね、この橋のたもとに『のっぽのパイン』がいつも立っていてくれたの。

空をみあげるくらい高い所にね。」

「ふーん、なんだか面白そうだな。教えてよパインさんのこと」

お母さんの話はこうだった…

「ねえ、どうして?」「どうしてあの木はあんな所に立っているの?」

毎日毎日同じ質問を繰り返す久美に、お母さんは困った顔して、

「さあどうしてだろうね?」と答えるばかりだった。

 仕方なく久美は五つ上のお兄ちゃんにも聞いてみた。

「ねえ、どうして?」
「どうしてあの木はえっちゃんのお家の屋根の上に立っているの?」

「ああ、『のっぽのパイン』のこと?

なぜだか知らないけど、屋根を突き抜けて空に伸びてる木なんて滅多にないさ。

家の中で木登りできるなんで羨ましいよ。

屋根の上に登ったらその上はまるでジャックと豆の木みたいじゃないか!」

えっちゃんの家に行くたび、久美は不思議な感覚を包まれた。

「えっちゃん、あそぼ!」と戸を開けると、

そこは土間になっていて、その真ん中に立つ大きな木の幹が目に入る。

その上、その木は屋根を突き抜けて空に向かって枝を伸ばしていたのだ。

「どうして?」「どうしてお家の中に木があるの?」

久美はそのことをどうしてもえっちゃんには聞けなかった。

そして、なぜ、えっちゃんがお母さんやお父さんと離れて、おばあちゃんと暮らしているのかも…

えっちゃんの家の近くの、小さな橋を渡った先に続く一本道。

その向こうに見える久美の家。

見えるところにあるのに、途中家が一軒もないから、夜道はとっても暗くなる。

幼い久美には、その川沿いの一本道が遙か彼方に繋がるように遠く遠く感じられたものだ。

だからその道をひとりで歩くのはひどく苦手だった。

暗くなって家に帰らなければならないとき、久美は必ずこう言ったものだ

「えっちゃん、お家に着くまでこの橋の上でずっと見ててよ。きっとだよ。」

ドキドキする心を抱えて久美は一生懸命その道を走った。

途中心配になって振りかえると、えっちゃんが手を振って立っているのが見える。

その上の空には、あの『のっぽのパイン』。

「僕もちゃあんと見てるから大丈夫!」って言っているような…

そんな暖かいオーラを発していた気がした。

こんなこともあったの。

夏の夕暮れ、まだこの川がコンクリートで固められていず、両側にはいろんな草が生い茂っていた頃。

その草の間にはほんのり光を放つ蛍がいっぱいで、その時だけはお母さんもこの道を歩くのが楽しかった。

だって光のイルミネーリョンがそりゃあ素敵だったから。

でも、小学校最後の冬休みに入ってすぐのこと、えっちゃんから急に引っ越すことになったと言われたの。

つらかったけど、「やっとお母さんと一緒に暮らせるの。」って嬉しそうに言うえっちゃんに、何にも言えなかったな。

それからすぐ、えっちゃんの住んでいた家が壊されて新しくなることになってね、

あの「のっぽのパイン」が切り倒されることになっちゃったの。

「止めて!」って言いたかったよ。でもお母さんにはどうしようもなかった。

「それでどうなったの?」いつのまにか話に夢中になっていたゆうたが言った。

寒い寒い夜、お母さんはこっそり会いに行ったの。「どうか逃げて!」って言うためにね。

夜空を見上げると、のっぽのパインはちらほら降り出した雪をまとって、白いドレスを着ているみたいだった。

月の光を浴びて、その姿はキラキラと光ってたの。そしてこんな声が空の上から聞こえたの。

「もうお別れだよ。でも悲しまないで。」

「えっちゃんは、お母さんが暮らす…あの金魚で有名な小さな小さな町に帰れたし、

久美ちゃんはもうひとりで家まで歩ける強い女の子になったし、僕はとっても幸せな気分さ。」

「最後に僕からプレゼントあげる」

目の前の空に、あの夏の日の蛍の光が何本も点いたり消えたりして、

その中で「のっぽのパイン」はまるでダンスをしているようだった。

「ありがとう。さようなら、のっぽのパインさん」…

ゆうたからこんな言葉が自然に口をついて出た。

隣に立っていた久美も、目の前の、雲のほかにはなにも見えない空にむかってこうつぶやいていた…

「ありがとう。私はこんなに強いお母さんになりましたよ。」




…おわり…


あとがき