ゆ・ら・ら くるりん その1
↑これらのページは、できれば下の説明を読んでからご覧下さい。
陶器に興味をもったのはいつからだったのだろう?
思い出せないけれど、気がつくと私の書棚には焼き物の本があった…
綺麗な絵付けの磁器には一切興味が無く、土の感触が残った素朴な陶器に惹かれていた。
備前、唐津、益子…の器たちは長い時間見ていても飽きることはなかった…
ただその頃は、自分でつくりたいとは露ほどにも思っていなかったことだけはよく覚えている。
社会人になってすぐの頃、会社の研修旅行で訪れた…岡山、倉敷の「大原美術館」で素敵な出会いがあった。
もちろん有名なエル・グレコの「受胎告知」の絵に感激し、また版画館では棟方志功の独特な世界で描かれる
仏たちを見て嬉しかったのだが、「陶芸館」のある陶芸家の作品を見て、私はなぜか強く惹きこまれた。
それは「河合寛治郎」という大正・昭和にかけて活躍した陶芸家(本人は陶工と呼ばれることを好んだそう…)
の作品だった。
彼はバーナード・リーチの作品に感激し、濱田庄司、柳宗悦等と共に作陶した人である。京都東山に窯を設け、
現在そこは河井寛次郎記念館として彼の独自の世界を反映した場所になっているそう…いつか行ってみたい
と思っている。 (05.10.14 この記念館に行ってきました。詳しくは下記をご覧下さい)
彼の力強い作品はもちろんのこと、彼の陶芸に対する姿勢、生き方を記した著作に心を動かされ、思わず
仕事を忘れ、その著書「火の誓い」を購入して帰った。
彼は独自の哲学を持ち、またその言葉は詩人そのもの…すごい人だなと思ったことを今でもよく覚えている。
「もうもうと煙吐いてる 火の祈祷
火の祈祷
熔かさずおかない火の祈祷
真白に熔けてる 火の祈念
燃えさかっては 持ってもをれず
もののいのちに 火の寄贈
(中略)
手に持てる火
土の中にかくれた火
姿をかえてゐる火
つめたい火の玉
手の中の火の玉
−陶器」
05.10.14 初秋の一日、念願叶って河井寛次郎記念館へ行ってきました。
京の静かな町屋の奥に、彼の世界がひっそりと広がっていました。
彼の愛した空間を…私のつたない画像で紹介します。
どうぞのぞいてみて下さい。 そして気が向いたら訪れてみて下さい。
きっと素敵な時間が過ごせると思います。
「河井寛次郎の世界に触れる」
現在月2回程度陶芸教室に通っている。知人の紹介で現在の先生に出会った…「基礎を徹底的に教えてくれるよ」と推薦してくれた。
人に教えを乞うのが大の苦手…すぐさま自分勝手に判断・進めていかないと気が済まない性格の私。
それが、なぜ「基礎を習いたい」と思ったのか…頑張っても「土」がどうしても自分の思うようにならない…
負けず嫌いの私がなんとか土を自分の意のままにしたいと考えたからである。
先生は還暦を迎えてから陶芸作家に弟子入りし厳しい修行を体験した方で、とにかく教室であっても生徒に遊び半分でなく、
自分の修行をそのまま教えていこうとされている。
明るくて前向きでとてもいい先生に巡り合ったと思っている。
「土練り3年、ろくろ6年」と気が遠くなるようなことを初回に言われ、きっと長続きしないだろうなと思いつつ、
かなりのんびりペースで教えを乞うている。
当然のことながら私の腕は遅々として上がらない。
でも先生が陶芸を始めた年までもまだ間があるのだから…とまあのんびりのんびり土と向かっている私である。
そしていまだに土は自分の意のままにならず、土に遊ばれている…。
馬渕先生については「一坪窯」というHPをごらんください。(リンク集「一坪窯」参照)
(05.4)
今年4月、先生の個展が開かれました。「馬渕 莞二 喜寿 作陶展」(詳細はクリックしてご覧ください)
小学校3年の時、「将来はミレーのような画家になりたい…」と作文に書いた。
小さいながらあの地味な「落穂拾い」や「晩鐘」を描いた農民画家の名前を挙げたのは何故なのだろう?
ところが絵はデッサンの段階では上手くいくのに、いざ色を載せるとみるみる駄目になってしまう…
次にその後、漫画家になろうと思うようになった。当時人気の漫画の似顔絵を描いて雑誌に掲載されたこともあった。
ところが絵は真似ても、独自のキャラクタを作り出せない…、ストーリーが浮かばずせいぜい4コマ漫画程度がやっと。
現代詩にのめり込んだ時期もあり、エッセイぐらい書けるかな…と思いつつ、浮かぶのはどこかで読んだ文章…。
いつか内面からあふれるように言葉がほとばしり出て、文章が書ける時期が来る!と期待しつつ、
そんなこともないまま、現在に至っている。
そんなこんなで…私には物を創り出す才能がないのだろうと思うようになった。
それではせめていい作品をたくさん見て自分磨きをしようと、精力的にいろいろなものとの出会いを求めてきた。
そんな私がどうして器つくりに?それはろくろ1日体験であまりにひどい結果だったこと。
どうして上手くいかないのか納得できず、土を練ることさえどうしていいのか途方に暮れる始末…
いままでなんとか形だけはできてきたのが、陶芸は最初の土練の拙ささえもが後のろくろ成形等全てに影響する。
上手くいかないことが、不器用なことが、飽き性の私をしてここまで続けてこさせてくれている気がする。
最初遠い世界だった土の菊練がなんとか見た目だけでは「菊練」と呼べるようになってきた。
でも実際は空気が入ってしまっていることもあり、本当の意味ではまだ土練りさえも習得できていない状態である。
ろくろも未だに湯のみひとつ満足に挽けないのに、あれこれ作っては失敗している。
「できない」ことは「いつかできるようになりたい」と頑張れる要素…この点で不器用な自分をラッキーと思うことにしている。
今後の奮戦における失敗談については、またぼちぼちお話していくことにしましょう。
最近の器つくり奮闘ぶりを少しづつお伝えしていきます。あまりのスローペースにあきれないでください。
私の陶芸奮闘ぶり(関連の情報も)は「のほほん とうげい 日誌」にてお伝えしていきます。
↑あまり更新できないので、気軽に書けるブログ形式の日記に変更しました
「のほほん土遊び」(07.7.21変更)
私の土遊びのスペースを作ることになりました。興味がありましたら工事の経過を覗いてみてください。
06.3.31 ついに小屋完成! 私のつまらない報告におつきあい頂き、感謝です。
「土遊びの場所ができるまで」
昨年11月に知り合いの窯開きに参加させて頂きました。素焼きの器を一緒に焼いてくださるとのこと…
ついては多少でも お手伝いを…ということで、天竜の山奥の下百古里という村に車を走らせました。
実は一人で天竜以北に車を走らせるのは初めて…ましてや山道をナビも無しにいくことに不安いっぱい…。
細い山道を不安にかられながらも、なんとか薪を燃やし続けて3日めの窯に到着!
何も知らない私はただ見ているだけ…窯の中の温度を推し量っての薪入れのタイミングだけでも難しく、緊張感がありました。
陶芸家の方も何人かいらしゃって初心者の私にいろいろ教えてくださいました。
1週間後の窯開きも参加し、少しながら感動をおすそ分けしていただきました。
私のは、知識も技術もないだけあってそれなりのできばえでしたが、でも次はもっと…と思います。
詳しくは窯の持ち主の三井さん(四季彩堂ご主人)のHP内「百古里だより」でごらん頂けますのでどうぞ!
(リンク集「四季彩堂」参照)
私の作品
今まで作ってきた私の拙い作品です。
一応独善的に自分の気に入っているもの、思い出のあるものを選びました。
とてもお見せできないほどひどいものも多々生まれましたが、先を急いでいる訳でもなく、日々楽しみに作陶しているので、
そんな作品にもいい勉強をさせてもらっています。
どうかがっかりしないで暖かい目で見てくださると嬉しいです…
08.9/20〜28美術館で開催された市展に、どういうわけか私の拙い作品が選ばれました。
きっとその瞬間審査員の目がかすんだに違いない…初のチャレンジで大番狂わせです!
展示された作品はこちらの日記でどうぞ♪観に行って頂いた沢山の方、心より感謝です。
これからもぼちぼち頑張ります!!